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さよなら シンデレラ [物語]

「ねぇ、ディズニーランドに行かない?」
フォークに絡ませたカルボナーラを口に運ぼうとした時だった。全く絶妙なタイミングで、全く想定外の言葉が振ってきた。
「ねぇ、そうしよう?」
覗き込むように言う微笑みには、彼女らしい悪戯心が潜んでいるのには気付いたが、平然と受け流せるだけの度量を、その時の僕は持ち合わせていなかったのも事実。きっと彼女の目論見通りの表情をしていたに違いない。
「今から?」
遅めのランチを有楽町のオープンカフェで取っていた時だった。この日の為に考えてきた僕の計画など、会ってものの十数分で吹っ飛ばしてくれた彼女の言葉は、でもしかし、数分の時間を加えれば、常識的ではなく意外であっても悪くない。それじゃあ、と目の前のものを手早く片付けた後に東京駅へ向かう。僕の左肩の数十センチ向こうに、いつものように彼女は居た。そして斜め横に向かって掛ける僕の言葉に応える笑みも、いつもと同じだった。
東京ディズニーランドが出来た当初は、バスや車で行くしか交通手段が無かった。僕達が最初の訪れたのもバスだった。今では京葉線舞浜駅が出来て、東京駅から十数分で着く。その東京駅は平日の今も、足早に歩く無数の目的を持った人達の大小の列が交差していた。勿論、日本有数のターミナル駅に違いなかったが、地方都市からこの地にやって来た僕にとっては、最初の降り立った駅であり、ここに来る度に、あの時の無知で田舎者の自分の姿が脳裏をかすめるのは、たぶん僕のセンチメンタルなのだろう。それが証拠に、同じ境遇の筈の彼女は、スタスタと地下へと続くエスカレーターを目指して歩みを止めない。東京駅最深部かもしれないホームに降り立てば、タイミングよく電車が滑り込んで来た。車内は、平日の昼下がりの割には少なくはない。
「最初に来た時は、ガイドブック買って、前日にいろいろ計画したよね」
「そうそう、あの頃はどこの本屋にも『TDL攻略本』っていうのが有ったなあ」
本当は貴重な一日の筈なのに、いつの間にか彼女のペースにはまってしまった不甲斐なさを感じなかったのは、きっとこの笑顔故だろう、と思った時、車窓がパッと明るくなった。地上に出た電車は、もうすぐ春だと告げる日差しの中を進んでいった。

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友人の紹介、一言で片づければそういうことなのだが、実際は面倒な話が来たものだと思った。大学に進学して、この大都会の片隅に独り身を置く術を得て、やっと自由にこの街を歩けるようになった頃だった。しかし、旧知の友人の頼みとあれば、無下にはできない。顔も分からない、名前しか知らない二人が落ち合える場所として、池袋駅のホームの一番端、そんな殺風景な所を指定したのは、積極的に会いたいという反対の意味を込めたつもりだったのだが、それでも最初から彼女は笑顔だった。傍らの喫茶店で二、三時間も話しただろうか。その間彼女はずっと笑っていた。特に面白い話をした訳でもその意図も無く、ただ普通に会話しているつもりだったのに、時に涙を浮かべるほど、彼女はずっと笑っていた。生まれた地も育った環境も目指す方向も全く違う二人なのに、緊張感みたいなものが数分で飛び去ってしまった、不思議な出会いだった。ただ僕はその時、花のように笑う人だな、と思った。
故郷が遠くに思えるようになった頃、僕の左側に何時しか花が咲くようになった。時に意外な言動で驚かされることはあったが、他愛も無い動機からであり、時に意地っ張りな彼女と衝突したことはあっても、結局はそれを受け入れる寛容さを求められているのだと知ることになった。ただ彼女は、過去の事は殆ど話したがらなかった。それに気付いた僕も、敢えてそこへは踏み込まない。付き合うということは一心同体になることではない、そう思ったから。
僕らがアルバイトを始めるようになったのは、それから少し経ってのことだった。地方から東京に出てきた二人、親からの仕送りが有るとはいえ、この大都会で自由を謳歌できるほどの額である筈も無く、どちらかと言えば貧しい大学生活だった。バイトで少しづつお金を貯め、二人で旅行に行くのが目的であり、それは半分は叶ったが、半分は結局あきらめることになった。

現在は、舞浜駅前にはディズニーランドの土産物店やそれらしいオブジェが並ぶが、まだそんなものができる前のこと。広い歩道橋と広場の先にチケット売り場とゲートが有るだけだった。さすがにこんな中途半端な時間に訪れる客数は少なく、難なく「行ってらっしゃいませ」のスタッフの声に押されて、僕らは夢と魔法の国へと入って行った。
「さてと、どこから行く?」
「そうねえ、やっぱりアレから」
彼女が指差したのは、前回来た時も最初に並んだスペースマウンテン。確か二時間は並んだような記憶があるが、今日は待ち列がそれほどでもないようだ。屋内であることを逆手にとって、視界を狭められた暗い空間を、映像と音響をと共に疾走することで、スリルとスピード感を体験させられる人気アトラクションの一つ。
「前に来た時、ギャーって言ったでしょ。今日はそれはナシよ」
「そんな声、出してないって」
「いいえ、出してました。隣の私がしっかり聞いてました」
「・・・」
言い争うのも大人げないからと、しっかり目で否定したつもりが、そうだったかな~、とつい思わされてしまうところが、彼女の魔法なのかもしれない。

いかに単身で東京に来たとはいえ、それなりの月日を過ごせば、少なからず友人もいた。彼女も同様。そして二人が付き合えば、その友人達とも出会うことになる。元より人見知りしやすい僕は、積極的にそんな輪の中に飛び込むつもりは無かったのだが、彼女の友人の誕生パーティに招かれた時の事、初対面の人達の前で「○×さんの彼氏です」と紹介された時、顔から火が出るほど恥ずかしかったことを憶えている。音痴で酒の飲めない僕は、こういった席は好みではなく、早々に退散したい所なのだが、彼女の手前、立派でなくてもそれなりに振る舞わないと、と緊張していたことも、今となっては懐かしい。結局そんな緊張もいつの間にか霧散して、終電が無くなるまで騒いで、最後はタクシーなど端から論外な貧乏学生らしく、二時間以上も深夜の国道を歩いて帰ったことも、今となっては懐かしい。そして、そこで知り合った人達が共通の友人となり、今日この日を生んでくれる事になるとは、もちろん当時は想像の遥か彼方だった。

「次はアレね」
「イッツ・ア・スモールワールド、あれ面白くないよ~。お子様向けじゃない」
「そこが夢があってイイじゃない。あなたもギャーとか言わないし」
「言ってないってば!」
ケラケラ笑いながら歩みを止めない彼女。まあココは浮世とは離れた国。そこに足を踏み入れたのだから、現実なんて棚の上に上げてしまえ、と後ろから追いついて彼女の歩みに合わせた。彼女が手を差し出す。まるで幼稚園児が下校の時にするように、握った手を振りながら白い建物に向かって歩いた。この国に初めて来たのは何年前だろう。月日を重ねて変わった僕の筈なのに、あの時と何も変わっていない、そう思った。

一応、真面目な大学生だった僕は、ゼミにも入っていた。その師事する教授のイベントが新宿のホテルで行われることとなった。ゼミ員である僕も、もちろん準備と後片付けの為に駆り出されたのだが、偶然にもその日は彼女の誕生日だった。お金に余裕など無い僕らだけれど、一年に一度の特別な日なのだから、と外食を決めていた。ゼミのイベントにはスーツ姿で参加しなければならなかったから、ちょうど好都合だとも思った。しかし、予定時間を過ぎてもなかなか終わらない。終わっても、先輩方を差し置いて勝手に帰る訳にもいかない。携帯電話など無い時代だから連絡もできず、ただひたすら時計を何度も見つめるしかなかった。結局、約束の時間を二時間以上も過ぎて、やっと自由の身となった。それから彼女との待ち合わせの場所、新宿駅の地下に向かったのだが、半ば以上諦めていた。待っているはずない。怒って帰ってしまったに違いない。トボトボと歩きながら、言い訳を考えていた。いや、言い訳など火に油を注ぐこと、ひたすら謝るべきだ、そんな考えが頭の中を巡りながらも、足は勝手にドンドン急ぐ。途中から小走りになる。汗が噴き出る。でも、ネクタイを緩めて走った。そして、息を切らせて地下への階段を駆け下りた時、彼女の姿が目に飛び込んできた。縦横に行き交う大量の人の波を不安げに見つめ続け、二時間以上も僕を待っていてくれた。息を整え、ゆっくりと彼女に近づいた。彼女も僕を見つけてくれた。その表情に険しさなど無く、ただ安堵だけが感じ取れた。僕は思わず目頭が熱くなっていた。こんな僕の為に、僕一人の為に、この子は二時間以上も立ち続け、ただひたすら待ち続けてくれたのだ。こんな嬉しいことは無い。これまで生きてきて、一番嬉しい瞬間だった。人目を憚らず、僕はそっと彼女を抱きしめた。「どうしたの?」とだけ、僕の肩口に彼女は小さく言った。

陽が西に傾くにつれ、アチコチの建物から明りが付き始めた。ふっと目に留まったのが、ポップコーンを売っているこの国の屋台。
「ねえ、ポップコーン食べよう」
「ダメ」
「ダメって、そんな子供に言うみたいに」
「ダメ!」
「どうしてさ。ポップコーン、嫌いじゃないだろう?」
「ポロポロこぼすから」
「えーっ?」
「だって前に来た時も買って、食べながら歩いてたらポロポロこぼしたでしょう」
「そうだったかな~」
「だから掃除係の人が、ずーっと私達の後を付いてきたじゃない。恥ずかしいからダメ」
そう言ってクックッと口元で笑う彼女に、あの時は一つのポップコーンを二人で食べていたからこぼしたんだ、と言いたかったが、そう言う前に今日は二個買って、一つを差し出した。あの時よりは少しだけ、財布に余裕ができたから。

最初は戸惑った大都会での生活、それに慣れてしまえば「こんなものか」と思ってしまった。大学生活も一年も経てば時間に余裕ができ、大学生って「こんなものか」と思ってしまった。それがどうだろう。彼女が僕の傍らに咲くようになってから、俄然忙しく、新鮮になった。友人の幅が広がり、後輩の面倒を見ることも増えてきた。そして何より、彼女が見るもの、聞くもの、興味を示すもの、感動するもの、嫌いなもの、それら全てを共有や共感はできないにしても、全てが僕には新鮮だった。地方都市で生まれ育ち、そこで自分なりの希望や夢を持っても、まだそれが幼く未熟であったと知らされた東京。そこで僅かに立つ足場を得たとしても、まだ見上げるばかりで埋没しそうな僕に、新たな見方、別の価値観と言ってよいものをもたらしてくれた彼女は、付き合うということが単なる愛や恋やSEXだけではない、そういう事を示してくれた。でも、僕と彼女は同じ年。彼女を大切に思うが故に、導かなければならないという使命感が、知らず知らず僕を、ちょっとだけ背伸びさせていたのかもしれない。

まったく、ジャングルクルーズのスタッフには感心する。リピーターも多いはずだから、何種類ものパターンを持っているのだろうが、決められたコースを回って、決められた所で飛び出てくる動物にびっくりさせる話術は大したものだ。分かっていてもビックリし、そして笑う。ボートを降りた後も、僕たちは笑っていた。何が可笑しいのか、何て考えず、ただ単純に笑っていた。それが僕たちのやって来た、この国の決まりなのだ。
夕闇が迫るなか、僕たちの歩く前をスタッフがロープを張っていた。そうだ、まもなく夜のパレードが始まる。
「前に来た時は凄い人だったわね」
「そうそう、あまり近づけなかった」
今回は早々にロープ際に陣取って、最前列で待つことにした。長く感じた冬が終わりを告げるのは分かっていたが、陽が傾けば、まだ薄ら寒い夕暮れだった。

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長く感じた冬が終わりを告げるのは分かっていたが、陽が傾けば、まだ薄ら寒い夕暮れだった。アパートの自室で、僕は期末試験の準備をしていた。そこに彼女がやって来た。それ自体、珍しくも無い普通の事なのだが、表情が尋常ではない事に直ぐに気付いた。なので、六畳一間の片隅に座った彼女に正対して、僕も座った。
「話したいことが有るの」
「何?」とだけ言って、どんな言葉も受け止めなければと身構える前に、次の言葉が発しられた。
「私、別に好きな人ができたの。だから、もう終わりに・・・」
瞬時にそれは嘘だと思った。この一週間ばかり会っていなかったとはいえ、それまで普通に時間を共にしていた。そんな何某が突然現れるとは思えない。百歩譲って、そういう人が急に現れたのだとしても、それはキッカケに過ぎず、本当の理由は他に有ると察した。今年になってから、いつも通りに会っているのに時々、彼女が別の方向を見ているような寂しげな横顔が思い浮かんだが、それが何なのかを知る知恵も勇気も、その時の僕は持ち合わせていなかった。ただ一つだけ確信したのは、もう元には戻れないということ。だから僕には、吐き出す言葉が無かった。その代り、涙だけが溢れ出てきた。
彼女は、僕の元から飛び立ちたいのだ、と思った。だから、何時間かけて説こうとも、百の言葉を浴びせても、彼女の選んだ結論が変わることは無いだろう、そう分かる。全ては僕自身に責がある、そう分かる。でも分かったからといっても、言葉が出ない。何か言えば、自分が醜くなるような気がしていた。そんな僕の姿を見て、彼女は静かに言った。
「ねえ、二人が好きだったあの曲、カセットに入れてくれない」
CDではなく、まだレコードの時代。気に入ったという理由だけで買うほどの余裕の無い僕らは、レンタルをよく利用したが、特別気に入ったレコードだけは、無理してでも買った。棚からその1枚のLPレコードを取り出し、カセットデッキにテープを入れて、スイッチを押した。現代のような倍速ダビングなんてできないから、レコードの実時間が必要だった。つまりは、二人が一緒に居られる時間は、僕に残された時間は、この録音終了と同時に終わる。やさしくて、歌詞も曲も丁寧に作られたと思わせるその曲たち。たぶん、この曲たちと一緒に彼女を、僕は忘れないだろう。でもその時の僕には、そんな懐古の姿は浮かばなかった。ただただ、ひたすら悲しかった。
カセットを手に「じゃあ」とだけ言って立ち上がった彼女に、駅まで送っていく、と告げたが、明確に拒否された。元より、見送られるのが嫌いな彼女だった。いつ会っても分かれる時は、「じゃあネ」とだけ言って、一度も振り向かず、スタスタと歩いて消えていくのが常だった。そして僕はいつも、人混みの中に、ビル陰に、階段の先に、消えていく彼女を見てきた。外は冷たい雨が音も無く降っていた。彼女は傘を開くと、最後にもう一度だけ視線を向けてくれたが、その瞳には、優しさと決意が散りばめられていた。小さく「ありがとう」とだけ言って、静かに歩いて行った。この期に及んでも、情けない程に何一つ言葉の出ない僕。もちろん彼女は、一度も振り返ったりはしなかった。

夕闇にすっぽり包まれる少し前、軽やかな音楽と共に、きらびやかな衣装をまとったダンサーたちが見えてきた。エレクトリカルパレードの始まりだ。フロートと呼ばれる電飾鮮やかな乗り物の上にはミッキーマウスをはじめ、ディズニーのキャラクター達が踊り、手を振っている。
「キレイね」
左側数十センチ先の声の主は、魅了されたように見上げていた。「化粧なんてしなくていいよ。あんなのオバサンになってからで十分さ」、そう言っていた僕に会う時は、彼女は殆ど素顔のままだった。そして今も、しているのかどうかも分からないような薄化粧のまま。その頬に、電飾の様々な光が反射する。小さな肩がすっぽり覆われるくらいのロングヘアーは、あの頃より少し茶色になっただろうか。音楽と光の帯がまだまだ続いて来る。時に手を振り、「キレイ」を連発する彼女は、薄手のスプリングコート姿が少し寒そうに見えた。けれど、まもなく誰かの元に行くことを知っていれば、肩を抱くことは差し控えられた。それとも、この夢と魔法の国では、許されることだったのだろうか。

さっきまで一緒だった。つい先月までは、一緒に笑ってた。なのに今は、冷え切った手を一人温める日々。僕は大切なものを失った。今はただ、声に出せない質問を、ゆっくり追っている。後悔?反省?、そんなものは無限に出てきた。それら一つ一つを飲み込んで想い出に代えなければ、一歩も先へ行くことができない、どうしようもない時間に流されていた。憔悴しきった僕の変わり様に、友人達が心配して声をかけてくれたが、この喪失感という穴を埋めるには、未熟な僕には時間が必要だった。
彼女が去ってから、一年が過ぎた頃、共通の友人に連絡してみた。もう、彼女が今どこに居て、何をしているのかは分からない。その友は驚いた様子だった。今更連絡してきたことに、あまりに変わった僕に、そして「少しの時間でいいから、会いたい」という申し出に。会ってどうする?、何を語る?、その時そんなことは考えていなかった。ただ、一年という時間を費やし、ありったけの勇気を絞った結果、それしか思いつかなかっただけ。一縷の望みであることを察してくれたのか、友はそんな僕の言葉を伝えてくれたのだが、返答は予想通りだった。「私たちは別れたの。なぜ今更会わなくてはいけないの」。至極当たり前の返答だった。たとえ会わなくても、彼女には今の僕の姿が見えていたに違いなく、会う価値無しの烙印を押されたも同然だった。

きらびやかな光の帯が通り過ぎると、辺りは元の闇に戻っていった。その闇の中でじっとしていた人の波が一斉に、其々の方向に動き出す。それらの中で、僕は空を見上げていた。漆黒の空には、星は見えない。けれど、ライトアップされたシンデレラ城が浮かんでいた。誰がどう見ても美しく、この国のシンボル然として佇んでいた。僕はどうしてここにいるのだろう、ここで何をしているのだろう、そんな現実との繋がりへと心が向かいそうになった瞬間、背中をドンと押された。
「なにボーっとしているの。さあさあ、次よ!」
声の主は、まだ終わりじゃない、と言う。そうか、まだ続きがあるんだ。先を歩く彼女の横に並んだ。
「次はどこにする?」
「あなたがあまり好きじゃないトコよ」
振り返りながら、悪戯っぽく笑った。

人の心というものは、掌を返すように、直ぐに真っ新になりはしない。今の僕が過去の積み重ねで成っているのなら、大切なもの、それを失ったこと、それら全てを飲み込んで、次の一歩の糧となる。大切なものは、より貴重に思えるようになっていたし、失った悲しみは、より深く心をえぐっていたが、それらを引きずってでも顔を上げられたのは、大人になったということなのだろうか。それとも僕の青春が、後半に入った証左なのだろうか。社会人となることが間近に迫った僕には、もう気分のままに時間を使える余裕など無くなっていた。いつまでも立ち止まって足元を見ている暇を与えてはくれない。それは結果的には、幸運な事だったのだろう。
あの安アパートから引っ越して、まったく新しい環境の元で、社会人としての一歩を踏み出していた。そんな頃だった、旧知の友が連絡してくれたのは。「彼女が会ってもイイよ、って言ってる」と。彼女はいったいどこから、こんな僕の変化を見ていたのだろう。拒む理由は皆無。会ってどうする、何を語る、そんなことはゆっくり考えればいい、一も二も無くその申し出を頼んだ。ただ次に続く友の言葉が、その思慮を深淵へ導いた。
「彼女、婚約したの。その彼とアメリカに行くことになって。向こうで一緒に生活を始めて、ゆくゆくは永住権を取るって・・・」

閉園の時間が迫っていることは、人波が示してくれた。残された時間を楽しみたいと、アトラクションに走るグループもいたが、多くはゲートへ向かうゆっくりとした流れを作っていた。そして、僕達もその中にいた。たくさんの土産物やら記念品を並べる店がアーケードとなり、雑多な笑顔の人々で賑わっていた。僕達には関係ないな、と通り過ぎようとした時、左肘を引っ張られた。
「ねえ、お土産買おうよ」
まったく今日は意外な言葉の連続で、僕は返す言葉を失った。
「小さくていいからさぁ」
未来の無い僕達に、ここに来た証など必要なのだろうか。いや、まだ過去を引きずる僕が言うのならまだしも、未来から眼を逸らさない彼女から出た言葉だっただけに、ちょっと驚いた。驚いたけれど、嬉しかった。「ウン」と頷いて、ショーウインドウの横のドアをくぐった。
前に来た時は何を買ったんだっけ、と記憶を辿ってみても、思い出せなかった。たぶん余裕の無い僕等だったから、何も買わなかったかもしれない。楽しそうな笑い声が満ちた店内で、彼女が嬉々として僕の顔の前に掲げたのは、小さなキーホルダー。青が僕で赤が彼女。小さな袋に入れられたそれを、それぞれのポケットにしまい、僕達はまたゲートへ向けて歩き始めた。あのゲートをくぐってしまえば、この夢と魔法の国ともお別れ。現実の世界に引き戻される。一瞬だけ躊躇が過ぎり、僕は立ち止まり、振り返った。あのシンデレラ城が眩く輝いていた。
「キレイね」
さっきまでは、ドンドン先を行く彼女が、今は憂える瞳で横に居た。楽しかった思い出話をしながら通り過ぎるグループやカップル、家族連れが流れていく中で、過去から来た二人だけが立ち尽くしていた。

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舞浜駅は混み合っていた。電車がホームに入って来れば、大量の人を飲み込む。それぞれが大きな土産物袋を抱えているものだから、僕と彼女は奥に押し込められてしまった。でもそれも十数分のこと。東京駅で吐き出されれば、其々が其々の方に散っていく。僕たちは東海道線ホームへの階段を上る。彼女は全て分かっていたのだろう。なぜ僕が会いたいと言ったのか、会えば何を語るのか、そして最後に何をすべきか、も。その彼女はかの国を出てから一言も話さない。車窓を眺めるばかりで、僕の方を向いてもくれない。彼女もきっと、まもなく魔法が解けるのを感じているのだろうか。僕とて同じ。その瞬間を感じ、「さよなら」に代わる言葉を探していた。フッとポケットに手を入れてみる。小さな包みのガラスの靴は、無くなってはいなかった。
横浜駅の改札を抜ける。多くの人のざわめきで満ちているはずなのに、僕にはとても静かな空間に思えた。地上に出るためには幾十の通路がある筈だが、迷う素振りも無く彼女は、一つの階段を上り切った。
「ここから家までは近いから。もうここまででいいよ」
何時に無くゆっくりと静かに語るその言葉に、冷気は無かった。暖かで、でも少し湿っぽく感じたのは、きっと僕の気のせいだったろうか。本当は笑顔で彼女の旅立ちを送り出すつもりだったけど、上手く笑えずに彼女を見ていた。元より、こんな別れの瞬間を嫌う彼女だ。これまでずっと「じゃあネ」とだけ言って、スタスタと行ってしまう彼女だ。此処で長くグズグズ話すつもりは無い。ただ、向き合う彼女から眼を逸らし、改札へ戻る一歩を踏み出せば、その瞬間に魔法が解けることは分かっていた。
「そうか、・・・。それじゃあ」
最後に掛ける言葉を、とうとう見つけられなかった不甲斐無い僕は、そんなことしか言えなかった。なけなしの勇気を振り絞って視線を落とした僕は、階段を一つ二つと降りて行った。何時だってそうだった、今までずっとそうだった。こうして別れて、僕が振り返っても、そこに彼女の姿は既に無かった。だから今回は、振り返らずにスーッと消えようと思っていた。それが現在の僕に相応しい。そう思っていたが、七つ目の段に足を下ろした時、フッと背中に何かを感じて振り返った。そしてそこに、優し気に立ち尽くす彼女の姿が残っていた。
脱兎のごとく駆け上がって、彼女の前に立った。そしてそっと、ガラスで出来た壊れものみたいに、そっと抱きしめた。僕の掌は、彼女の背中の曲線を憶えていた。昔のままだった。違うのは、僕の背中に彼女の手が永遠にやって来ないこと。それを悟った僕は、すっと離れた。まっすぐに向き合った僕達。彼女は憂える花のようだった。
「ありがとう。私、わたし幸せになるから」
一瞬の間を置いて、僕は言った。
「それは、最高の別れ言葉だね」
その言葉に嘘偽りは無く彼女も、初めて会った時と少しも変わらない、花のように笑った。そして、「ウン」と頷いた。僕もやっとそこで笑顔になれたと思う。
今生で、もう二度と会うことは無いだろう。でも、忘れない。いま僕が、こうして一人で歩けるのは彼女のお蔭なのだ、と心底思う。
「ありがとう」
こんなにも自然に、そして心の奥底からこの言葉を言えたのは、きっと生まれて初めてだろう。僕はただそう言って、踵を返した。もう振り返らない。真っ直ぐに歩き続けた。改札を抜ける前に、ポケットに手を入れた。そこにある小さな包みを握り締めて、自分だけに聞こえる声で告げた。
「さよなら、僕のシンデレラ」







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コメント 9

トシ

ジュニアユースさん!
いつの間にかブログ再開してるじゃないですか。
あれで終わるはず無いと思ってましたから、お待ちしてましたよ。
また期待しながら通わせてもらいます。

by トシ (2017-03-27 18:09) 

うらくん

マジですか、、、。
素晴らしい才能ですね。
驚きました。
ドラマを見ているような、
とにかく感動しました。
by うらくん (2017-03-28 07:10) 

wataru-wata

ジュニアユース様、おはようございます!

先ずはブログ再開との事で、嬉しいです♪
毎日の楽しみが1つ増えました☆

っと、それにしてもカメラネタかと思いきや全然違う内容で驚きました!
うらくんさんとコメント被りますが「ドラマですか?」って思ってしまいました。トキメキなんて忘れてしまいましたよぉ(笑)
by wataru-wata (2017-03-29 07:33) 

二児の母

私はカメラのことは詳しくないのですが、以前からジュニアユースさんのブログを拝見してました。
今回、再開されたことを嬉しく思ってます。
その再開後の最初がこの物語。ホント、ドラマみたい。
こんな長文の話を書けるだけでも、すごいと思います。
以前のブログでも、こうした物語を書かれてますが、これらは実話なんでしょうか?
いや、そんなこと聞くのは失礼でしょうか。
今後も期待してお邪魔させてもらいます。

by 二児の母 (2017-03-30 15:38) 

ジュニアユース

みなさん、コメントありがとうございます。
そして、この長い文章を読んでいただいて、嬉しく思ってます。
やっぱり、こうしてブログを通じてコメントをいただけるのは良いものですね。
本当はお一人つづお返しするのが筋ですが、今回はまとめてで失礼させてください。
今後ともどうかよろしくお願いします。
なお、「実話」かどうかは、ノーコメントにさせてください。
by ジュニアユース (2017-04-01 22:10) 

kin_gyo

ジュニアユースさん、こんにちは。
ブログを再開していただき、本当にうれしいです。
また、読み応えのある物語をありがとうございます。
ブログ再開に気づかず、コメントが遅くなりすみませんでした。
by kin_gyo (2017-04-05 12:02) 

ジュニアユース

kin_gyoさん、コメントありがとうございます。
この長い文章を読んでいただいただけで、感謝です。
今後ともよろしくお願いします。

by ジュニアユース (2017-04-07 22:10) 

いちよう

ブログ再開おめでとうございます。
ぐっとくる物語ですね。
最後まで読み終えたら、ちょっとウルっとしてしまいました。
by いちよう (2017-04-28 17:32) 

ジュニアユース

いちようさん、こんにちは。
今回は結構な時間をかけて書いたものですから、この長文を読んでくださる方がいるだけで感激です。
今後ともよろしくお願いします。

by ジュニアユース (2017-04-30 23:00) 

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